@北西祐介

家康の生涯は艱難辛苦のオンパレード。そんな中で彼の前に立ちはだかる壁の数々。まさに家康の人生は、重き荷を背負いて遠くを行く人生ですよね。

@Hachikumamaru

前田利家と利長のセリフが反対のような😅

@karakutisyokai

勉強になりましたb

@crybabyhito

できれば小早川隆景や、蒲生氏郷も加えてほしい。作家の堺屋太一氏も関ヶ原関連の小説でこのふたりを評価していたし。

@デビッドラムゼイ

家康は逆に危機感とか恐怖に敏感だったからこそ乱世を生き抜いて天下人にまでなれたんだろうなと思う。

@Hachikumamaru

大阪城の攻略は南からの攻撃が弱かった。それを見抜いた真田信繁(幸村)はスゴイ。

@大胡忠勝

武田信玄公が一位でしょうね
真田昌幸も真田幸村(信繁)も信玄の部下であり弟子です。
ある意味家康も武田信玄公の弟子。だがやはり真田幸村の方が軍略は上でしたね。

@ジャックスミス-x2r

信長はもう少し上だと思う、あと島左近の話、最近の研究で三成と家康の関係は良好で家康暗殺計画は大野治長・浅野長政の方で三成は家康に報せていたて説も

@xyz-xyz-xxxxx

こいついっつも恐れてんなと突っ込みたくなるけど誰よりも恐れてたからこそ天下を取れたんだろうな

@ロクエモン

以前は豊臣秀吉・徳川家康から恐れられた男として伊達政宗が入っていたのですが、ここ最近まではそうでもないただの東北一の大名という位置付けだったのですがNHKで放送された決戦!関ヶ原という番組で幻の東北連合軍を結成させないために伊達政宗に対して100万石のお墨付きという書状を送ったことが放送されてました。やはり徳川家康は伊達政宗を警戒していた部分があったんですね。

@cielgran1006

家康が1番恐れた男の3番目に恐れた官兵衛が1番恐れた男だと個人的には思います

@武田信玄-f9m

なんだかんだ家康が直接戦って死にかけたのは信玄と信繁のみ。秀吉の大軍に一歩も引かんのだから、恐れるものはない。

@浩一加来

家康公が恐れた武将には、本多忠勝も入って良いと思う。家臣なので、直接戦ってはいないが、関ヶ原後の真田父子の助命を巡って、「助命が受け入れられないなら、殿と言えども一戦仕るまで!」と脅したと言う。家康にしたら「冗談!お前の様な怪物とやり合うなんて、命知らずな真似出来るか!」って感じだったでしょうね。

@山岸克己-p5t

信康・築山殿事件は、徳川家の内紛から起こったと近年言われてますが。それに処分前に信長に報告までしている資料も出てきてます。

@kazuyukimoriyama1963

立花宗茂がいませんね

@ginirowolf683

真田って風見鶏ですね。

@金井祐也

秀吉に関しては逆じゃないかな?
家康が秀吉を恐れてたんじゃなくて、秀吉が家康を恐れてたいたんじゃないかな?

@鶏肉のレモン和え

敵中突破した島津義弘が10位かぁ〜😮

@清水陽介-m6m

直江兼続。

@yoshihironishida2540

薩摩、一の太刀を疑わず、二の太刀要らずの示現流の地だったような。
つまり一撃必殺。負けたら仕方ないて突進かと。