@kikimike8556

人生紆余曲折あった中年女性の意見です。
まひろは、昔は政治に対しての思いとか、身分の差は超えられるものなどと言った理想を掲げていたものの、年を経るにつれ、どうしようもない事を諦め、身の丈にあった自分に納得しながら、自分の才能を生かし社会貢献する方法を探したら物語だったって言う事なのではないかなと思いました。
どこかで聞いたのですが、「源氏物語」がかな文字の普及と日本人の識字率向上に貢献したとも言われているらしいので、かつてまひろが言っていた〝この国を良くしたい、文字を普及させたい、”はここに繋がってるのかと思って見ています。

@ぷろぺら-k4f

解説動画からこの形態の動画に変えられてからもずっと拝見しておりますが、見ていて(聞いていて)とても楽しいです!
応援しています。

@英樹-f6g

女性主役の大河はもう見ねぇと誓っていたのに
今回は全話キュンキュン悶えながらみてます
おっさんが

@NN-td8vz

純愛の定義に関して、コメント見てると武士道さんとコメント欄とで齟齬があるようですね。
おそらく武士道さんの仰りたいのは制度的な『清廉潔白さ』で、一部コメントなどで荒れ気味なのは心情としての『両思い』という状態のことを指してるからなのでしょうね。

個人的には動画内で武士道さんが仰ったとおり、物語上意味がある不義不貞ですし、元より三郎との出会いからして歴史ドラマというよりは歴史『物語』ですよ、という描き方なのであまり気にしてません。
歴史を物語(フィクション)として描くことで、ドラマ自体が物語の意義や創作論を語る入れ子構造になっているので、むしろ発想のうまさに毎回舌を巻いています。

そしてまひろが「影の部分も書いてみては」と言っていたとおり、道長にしろまひろにしろ『人間誰しも秘密があり後ろ暗いところがあり、良い人だけど全てが愛されるような生き方ではなく、また悪人だからといって全てが悪ではない。誰も完璧な人などいない』というテーマが全体を通して描かれている気がします。
その意味で、主人公二人の不貞も一つの描き方としてアリなのだろうと思います。

ただ、物語として『わかる』こととそれが『好き』であることは別だと思いますし、好きじゃないからといって作品を全否定してるわけでもないというのは武士道さんのお話聞いててもちゃんと伝わってきます!
誰にでも作品の合う・合わないはありますからね。
誰しもに絶賛されていても自分はちょっとノれなかったな…とか、周りがボロクソに言ってるけど自分はこれが好きなんだよな…ていう気持ちはちゃんと自分の気持ちとして大切にしたほうが良いです。

毎回自分にはない視点で忌憚のない感想を仰ってくれる武士道さんのお話は新鮮で楽しいので、毎週楽しく拝聴しています!
今回もありがとうございました!

@ねずねず-l5s

武士道さんとあべのしんさんのやり取り、ほんと面白い😂

大鏡、栄華物語、古事記などは史実を忠実に書いたものではなく歴史‘物語’なので、今回の光る君へも主人公が書いた源氏物語をベースに史実と創作を混ぜた大河だ、と理解しています。
紫式部がドラマ化される発表があったとき、当然源氏物語もドラマの中で描かれるだろう、光源氏は誰が演じるのか?と話題になりましたが、そうではなくて本編の中に源氏物語が散りばめられる、こんな発想は誰も予想出来なかったのでは。
大石先生の発想力と脚本が本当に素晴らしいです。

@そらゆめ-s9c

いつも光る君へと武士道さんをセットで楽しませてもらってます♪

@やっとこ-z2k

源氏物語を書いた理由ですが、当時、紫式部の父が無職で子供も育てなければならない、更に使用人もいる中で、朝廷貴族から文才の能力を認められ誇りに思うと伴に生活を維持するために、更に自分の能力を存分に発揮できるかもしれない期待を抱き、大好きな文章を書くことを仕事にしたのだと思いました。

@watashichankawaii

いつも素敵な動画ありがとサンゴ

@ももももも-b5x

冒頭の「お慕いしております🥹」爆笑😂😂
定子も彰子も一条天皇が初恋で、全てにおいて敬愛から愛情になっていくことが雅で美しい純愛ですね
まひろと道長は、大石静さんの脚本らしいフィクションの中に源氏物語からの
オマージュや男女の切なさや楽しさがありますね

@songbooktube1161

源氏物語の第3部や、ラストの締めくくり方にヒントがあるような気がします。
歴史的な文学作品源氏物語ですが、なんかものすごい素人の私たちからすると、すでに光源氏が亡くなったところで(いわゆる第2部)作者としてはやりたいことは書ききったのではないかと。もう本人は終わりたいし、一応のフィナーレは作ったのに、ファンと編集長が連載をやめることを許さない(某ドラゴン〇ール、北斗の〇みたいに)。で、仕方なく再開するも、作者本人も気が乗らず、ファンもやや飽き始め、「ほら言わんこっちゃない」と、やや不貞腐れ気味に終わらせた…ように見えてしまいます。

でもそれは別の見方をすれば、期待されなくなってきたからこそ、いよいよ言いたいことが言えるチャンスでもあります。
道長の晩年近くは、権力の維持のために奔走し、彰子が可愛がって情けをかけている敦康親王から露骨に距離を取り、孫、敦成親王を次期天皇になるべく工作します。それが彰子には許せず、父娘の関係に亀裂が入り始めます。
そのようなことで精いっぱいになり、庶民の視点を失った道長、人としてまっすぐ生きようとしている彰子を見て、まひろはどのような感情になったでしょうか?
「いつまでたっても女は政治の道具。男の都合で、女は袖を濡らすばかり。」恋に苦しみ抜いた女だからわかる。何やってたんだろ私。私は、私の人生を生きなければならない。

なんか源氏物語の終末って、こんな感じですよね。ある意味、あからさまな権力構造批判。女が初めて自分の人生を自分で切り開こうとしているところで終わっています。
何か「光る君へ」のフィナーレも、そういうところが絡むような気がしてなりません。政治への思いや、伏線回収を望むのは、典型的な「男性脳」の発想だとは思うのですが、ぜひ大石先生、そのあたりに触れてほしい。

@七凪nanagi

まひろは身分を越えても道長と一緒にいられたところ自分から振ったのに、結局別の人の妾に落ち着いた上に托卵までしてしまうのは、確かに相当ゲスいんですよね
それでも2人からしたら純愛なんだろうな
どんなに人を傷つけても止められないほどの仲だったということで😅
一緒の墓には入れないってのが最大の罰なのかもしれませんね

そういうところも何もかも、とてつもなく趣きがある恋愛大河だと思います🥰

@いうあ-e7c

武士道さんに同意です
まひろと道長は純愛というにはあまりにも肉体的な愛の通わせ方で
当時は不倫が今よりあったのはそうかもしれないが、不義密通は大きな罪でそれが返ってくるという価値観は他ならぬ源氏物語から読み取れます
その作者が自分の行いに関して報いを受けない終わりを迎えるとするならば不自然な気がします

@kacho_who_gets

第三者から見れば不純でも、本人達にしたら純愛だったりするからなぁ...
男と女の色恋話はムズカシイ🙄

@masanobuokuda5837

まひろもそれなりにいろいろなことを経験していますが、それだけで源氏物語の大作を書き上げることができたとはとても思えません。最初は短編から書き始め、宮中の奥方や女房(倫子や赤染衛門など)からの反応や伝聞を取り入れていくうちにどんどん膨らんでいったのではないでしょうか。

@Kanoto34

武士道さんの「お慕いしておりますっ!」の顔真似に爆笑🤣

@ハナハナ-s7u

この後、堅子が「大弐三位」として異例の出世をしたので「道長の子だからじゃね?」みたいな感じでストーリーを進める理由づけにあえてしてるのかも🤔

@金坂治

これから1話毎に、源氏物語のエピソードが展開して行くのかな~なんて考えると、最終回まで楽しみになってきました。

@soshuguma

あべのしんさんとのやり取り、いつも楽しく拝見しています。今回は、源氏物語を書く動機という深い考察、色々と考えさせられました。いやあ、ドラマも奥が深いですね。小和田先生、呉座先生とのコラボ、すごいですね。おめでとうございます。それ伊周の顔真似、最高です。次回から「今週の伊周ァ」やってくれないかな。

@水道みち

伊周/隆家の運命の分岐点のように感じました
ただ今回は『お慕い申し上げてます』の一言に尽きるます、彰子、最高!

@ぱみ-f5g

まひろが物語を書く動機は、宣孝の突然の死を受け入れるためと娘が物語が好きだった(反応が良かった)ことがきっかけだったのかと思いました。
その物語は、公任の妻など貴族の中で話題となり、道長が帝に読ませる物語を書いてくれと頼まれることで、これまでの自分の気持ちを整理するものから一人の読者のために書く物語を描き始めるというプロ作家の扉を開いたのかなと考えていました。
今のまひろは、さまざまな読者が楽しんでもらえればと思いながら執筆活動をしている段階で、今後敦康親王を東宮にするしないの問題で道長と対立する立場になるので、その時に物語を書く意味を見出すのではと考察しています!