@猫一郎-s5e

家康は北条攻め辺りまでは警戒してたと思うけどその後の秀吉の行動には内心心の中で笑ってたと思う

@user-eg5bs7wp4jad

最初に一般的な考察が来るので「それ、ちゃいまんがな」と思わされるのですが
その後に私たちが思っている陰謀論が出てマンセーと思ったら更にひねりがあって一粒で2度美味しいです 笑

@paulieys8282

よく間違えられますが
辞世の句は
浪速のこと「は」夢のまた夢
ではなく
浪速のこと「も」夢のまた夢です

@ぐで-f9v

指も右か左どちらか六本有ったんだよね😊😅

@tatatatsts

秀吉は織田家から実権を奪ったけれど、ねねには優しかったから見直しました。

@matoke10632

秀吉は大したことないやつだよ
蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛が操ってたんだよ
だから時々暴走してるでしょ
暴走は秀吉の素です
官兵衛を追い出してからの瓦解がすごいでしょ

@mijinko-oyabun

悲惨な末路って言ってるが秀吉自身は悲惨では無かったでしょ。
秀吉亡き後の豊臣家は悲惨ですけどね。

日吉丸などは後の創作でしかないでしょう。

秀吉は突如、急激に老化し死んでしまう。
毒殺説が出るレベル。
家康や他の武将が企んだ…と言う説がありますが
毒殺が本当なら私は茶々説を取ります。
秀頼が生まれた事で大坂城に入り豊臣家が自分のモノとなった茶々には
秀吉はもう用済み…現実的にはそうでは無いが、そう「勘違いした」可能性は高い。
秀吉に一番簡単に近づけて、徐々に体力を奪える立場にあるのは茶々だけ。

秀頼も実際には秀吉の種ではないでしょう。
茶々的には本来、秀吉は家来であり、自分が側室である現実を如何に覆すか常に考えて居たと思う。
秀吉の心を夢中にさせ自分の足元が固まれば「不要」…と短絡的に見ていたと可能性が高い。
当初から画策せずとも、転がり込んだ結果から勘違いしてしまった可能性もある。

秀吉当人はまだまだ生きる心算だったとしか思えない将来設計、政策の目白押しです。
まさか自分の体力が急激に落ち込み、生い先短いと言う現実を自覚するとは思っても見なかったでしょう。
臨終間際には
もう家康などに人情で秀頼の事を頼むしか道(時間)が無かった。

毒殺は置いておいても
生命力の急激な衰えが秀吉の大きな誤算。
彼が長生きしていれば今の中国も生まれていないし
徳川の鎖国も生まれず、国力、武力が世界に置いて行かれる事も無かった。

徳川に変わったせいで鎖国となり
世界情勢へのアンテナがボキッと折れてしまう。
国力、武力が地に落ち、300年後にアメリカに負けると言う悲惨な結果が生まれた。
それがつくづく残念だ。